万葉集 朝日カルチャー  

 高校時代、古文は試験に必要なもの以外はいっさい関心がなかった。日本古典なんか一作品も読んでいないのに「ぬつたりきけりけんたしたがる」は 連用形(だったかな……)につくなんて文法を覚えさせられる不条理を恨んだものだ。それがどういうことか、長い読書歴の中でいつの間にか、「今昔物語」、 「大鏡」、「宇治拾遺物語」などを古文で拾い読みしている自分がいた。「平家物語」はなんと古文で読み通して、現代語訳では得難い文章の流れに自分ながらではあるが 感動したものだ。もし高校時代の下地(と、とても言えた代物ではないが)がなければできなかったことで、これこそ、砂をかむような高校教育でも無駄ではなかった という貴重な証拠か。
 「朝日カルチャー」というのを時々チラシでみる。その中で「平家物語」という講座があり聴講しようと思ったが、開催日が勤務日なので無理。同じ案内に 「万葉集」という講座もあった。それまで万葉集にも結構食いついていて、我が家の本箱には関連の本が4,5冊あるが、最初の天皇が若い女の子をナンパする歌 あたりから先にいっこう進まずいつも放り出している。最近これ以上易しく解説できないだろうという本に出会い、気に入ったのでその本に載っている5,六首を暗唱していた。 たったそれだけの知識で「万葉集」の講義を受けることにした。講師の先生は A 大学の B 教授、月1回、2時間とあった。
 家族の者に、「若い女性の参加も多いはずなのでその人たちとの付き合いも始まるから、後日俺が服装などに不必要に気配りをするようになったら気をつけた方がいいぞ」 とうそぶいて初日の講義に岡山に出発したが、教室に入った一瞬で、これから一年間は講義だけに専念しようと決意した。聴講者は50人くらいで満席だが、ほとんど 自分と同じまたは上の年代。女性ばかりで男性は2人ぐらい。
 結局、浮いた話もなく、聴講生の知り合いもできず、それどころかほとんど会話もなく一年がすぎた。しかし講義はすばらしかった!
 毎月2時間万葉の世界、いや「B先生ワールド」に酔いしれた。万葉集の成り立ちから始まり本論以外のB先生の恩師、大先輩たちとの交流話、現代史との比較、 古典を通してからの現代世相、学生・若者たちの批評、話は尽きなかった。
 もちろん、当然、本論も文句なく楽しかった。4500首もあるのにたった2〜5首の解説に2時間をフルに使い「えー、そこまで深読みして解釈するのか……」と 感心する。反対に「文字さえ十分にできていなかった時代の大昔の人がそこまで考えていたのかな?」と文明人のつもりの自分がちょっと反発したい気持ちにもなったが、 すぐにそんな気持ちは消え先生の声が素直に体にしみこんでくる。大げさにいえば1500年も前の昔の人の懐の深さを知って、日本人としての誇りさえ生まれてくる。 医者としてまがりなりにも理科系の人生を送っていて、ほんとうに久しぶりに文科系の科学、解釈に出会い驚き、その深さを堪能した一年であった。結局一度も 欠席せず年度末が来た。
 来年も続いて受講しようかどうか迷っていたが、最終講義日に18年間続いたこの講義が先生のご都合で閉講になるとの知らせ。聞いて驚いたが、反面ぎりぎり先生と 出会えることができて、これも小さな運命だと何だか変に満足した。講義が終わって同室でささやかなお別れティー・パーティーが開かれたので後ろの席でその雰囲気を楽しんだ。 しかし一言もお話もせずお礼も言わずお別れするのももったいないと思い、お開き後に先生にご挨拶を敢行。「素晴らしい講義を一年間ありがとうございました、大昔の人が 現代の人に負けずデリケートで深い心をあらわす力を持っていたことに感心しました」と自分が言うと、「そうではありません、大昔の人が持っていた大事な心を 現代の人々はなくしてしまったのです」と先生がご返事。目からウロコが取れたような気持ちの自分にさらに先生は「あなたが一番興味を持った目で私の講義を 聴いておられました」
しばらくして、メロメロな気持ちになってカルチャーセンターの建物から駅に向かっている自分に気がついたのであった。